●初代善五郎。
●十代善五郎の正暦元年(990)花山法皇、
●十七代善五郎の頃、源平の合戦始まる。
雅亮法師として白山開祖泰澄大師に仕え、
養老二年(718)、大師による粟津開湯に際し、
大師の命に従い万人の難病治癒のため
湯治宿法師を開く。
●十代善五郎の正暦元年(990)花山法皇、
自主山厳屋寺に参詣され那谷寺と改め、
以後しばしば粟津温泉・法師にて
ご入浴あそばさる。
●十七代善五郎の頃、源平の合戦始まる。
文治三年(1187)源義経と武蔵坊弁慶
『安宅の関』 越え。
粟津の温泉は飲用として用いても効能がある
蓮如上人、探索の目を逃れて法師の飯焚きに身をやつすと伝えられる。

金沢城
天正11(1583)年、前田利家が金沢城に入り、
その直後から本格的な城づくりが始められた。
●三十三代の頃。
●三十五代の頃、松尾芭蕉北陸各地を行脚し
●三十九代善五郎の寛政十一年(1779)
小堀遠州、法師を訪れ庭園造りを指導。
この頃に古九谷誕生。
寛永十七年(1640)
黄門前田利常公の来訪を記念して
法師門前に『黄門杉』を植えられる。
●三十五代の頃、松尾芭蕉北陸各地を行脚し
『石山の石より白し秋の風』 の一句を遺す。
●三十九代善五郎の寛政十一年(1779)
『湯元心得二十一カ条』 成る。
粟津温泉のシンボル「黄門杉」

寛政(1779)年、三十九代目の時代に村役人が定めた。
法師で入浴の際、守らなければならない条文が並ぶ。
●四十一代の頃 『粟津八景』 を定む。
●四十三代の頃、桂太郎、法師に宿し延命閣にて
●四十六代善五郎、世界で創立200年以上の
●四十六代善五郎、
●四十三代の頃、桂太郎、法師に宿し延命閣にて
『善吾楼』 を揮毫。
●四十六代善五郎、世界で創立200年以上の
由緒ある企業のみで構成する
『エノキアン協会』 に加盟。
●四十六代善五郎、
『世界で最も歴史あるホテル』として
ギネスに認定される
大浴場入り口を飾る「粟津八景」の陶壁画

1981年にフランスで設立された経済団体で、
家業歴200年以上の企業のみ加盟を許される老舗企業の国際組織





















